おはようございます。動物介在福祉士yuriです。
3連休ですね。みなさん、どのようにお過ごしですか?
わたしは、先日知人の結婚式に参列してきました。
結婚式というのは実は人生初の経験でした。
なんだかドラマの中の世界というイメージが自分にはあって
そういうものに参加する年齢になったのかと
しみじみ感じると共に、ちょっぴり緊張もしました。
花嫁さんはとても綺麗で、花婿さんはとても優しそうな方で
あぁ、こうやって家族が始まるんだなぁと感じました。
家族の始まりとは一体どこからなのでしょう。
わたしたちは自分の生を考えるときに
自然と自分の誕生の時からを考えてしまいますが、
それよりずっと前に
こうやって両親だけで出発した家族発足の日があったはずなんですよね。
もっといえば、その両親が生まれたそれぞれの家族の歴史もあったはずです。
そう考えると、結婚とは家族のバトンを渡していく
終わりなきリレーの通過点に過ぎないのだと感じさせられます。
だからこそ、感謝と決意をもってこの日を迎えるために
昔から結婚式という場が設けられていたのかもしれません。
そんなバトンが渡される瞬間を目の当たりにした気がして、
ひとりしみじみと感じ入ってしまいました。
わたしは人の想いに触れる仕事をしているからか
「愛」とは。
という問に時々ぶつかります。
答えは一つではないと思いますが
この解釈がわたしは個人的に好きだなぁと思っています。
愛するとは、
若く美しいものを好んで手に入れたがったり、
優れたものをなんとか自分のものにしようとしたり、
自分の影響下に置こうとすることではない。
愛するとはまた、
自分と似たようなものを探したり、
嗅ぎ分けたりすることでもないし、
自分を好むものを好んで受け入れることでもない。
愛するとは、
自分とは全く正反対に生きている者を、
その状態のままに喜ぶことだ。
自分とは逆の感性を持っている人をも、
その感性のままに喜ぶことだ。
愛を使って二人の違いを埋めたり、
どちらかを引っ込めさせるのではなく、
両者の違いのままに喜ぶのが
愛することなのだ。
byフリードリヒ・ニーチェ(超訳ニーチェの言葉より)
ですが、こんな風に愛することができたらなぁと思いながらも
実際はこの境地にはまだまだたどり着けないわたしです。苦笑
yuri